物語雳
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·読了目安 15分脇役

竜は強欲にしか牙を見せなかった

シャーウッドの森に金貨を運ぶ「怪物」の噂が広がる。真相は、ロビン・フッドの一味と結び貧しい村々の戸口に金貨を届ける竜だった。私財のため竜を独占しようとした代官の企みを、義賊と竜が結束して暴く、痛快な森の伝説。

一 灰色の夜明け

その年の冬は、エルムクロフト村にとって、これまでのどの冬よりも長く感じられた。

夜明け前の霜が畑の畝を白く縁取る頃、代官の徴税人たちは、決まって一番鶏よりも早く村にやってきた。荷馬車の車輪の軋む音が聞こえると、村人たちは寝床から飛び起き、なけなしの蓄えを納屋の奥や床下に隠そうとする。だがその朝、アグネスの家に転がり込んできた徴税人は、隠す間も与えなかった。

「シャーウッドの怪物討伐税だ。今年は倍にせよとの代官様のお達しでな」

痩せた男は、繋がれていた一頭きりの山羊の綱を、有無を言わさず引いていった。祖母のノラは声も出さず、ただ戸口の柱に手をついて、遠ざかる山羊の背を見送った。冬を越すための乳の頼みは、これで断たれた。土間に落ちた朝の光が、やけに白々しく見えた。

「怪物討伐税なんて、聞いたこともない」

アグネスは、愛称でアギーと呼ばれる十五の娘だった。父は三年前、代官の課す夫役で森の伐採に駆り出され、無理がたたって流行り病にやられて死んだ。以来、祖母とふたり、痩せた土地を耕し、森の際で薬草や枯れ枝を集めて糊口をしのいでいた。理不尽な取り立てには慣れているつもりだったが、「怪物討伐」などという言葉は初耳だった。

「近頃、夜な夜な森から現れて、貴族や坊主どもの蔵から金貨を運び去る怪物がいるんだと」隣家の女房が井戸端で声をひそめた。手にした桶の水面が、彼女の震える手のせいでゆらゆらと揺れていた。「鉤爪の焼け跡が扉に残っているそうだよ。代官様はそれを退治するために、討伐隊を組むんだと」

「怪物なら、なぜ貴族の蔵ばかり狙うんだい」

「さあねえ。ただの言い訳かもしれないよ、税を取るための」

その日の昼、アグネスが乾いた薪を抱えて戸口に戻ると、扉の前に見慣れぬ小さな革袋が落ちていた。中を検めると、鈍く光る金貨が数枚。誰が置いたのか見当もつかなかったが、扉の枠には、何かの爪で薄く焦がしたような、三本の筋が残されていた。木の焼ける、かすかに焦げくさい匂いがまだ漂っていた。

「これは……」

ノラは震える手でそれを拾い上げ、すぐさま藁の下に隠した。だが表情には、喜びよりも恐れの色が濃かった。

「怪物の置き土産なら、代官様に見つかれば、盗人の仲間だと疑われるよ。触れたことすら、命取りになりかねない」

「でも、婆ちゃん。これがあれば、冬を越せる。山羊の代わりにはならなくても」

ノラは孫娘の顔をしばらく見つめてから、諦めたように小さく息を吐いた。貧しさは、恐れよりも重い。それが、この村で生きる者の変わらぬ理だった。

村の広場には、その日のうちに新しい布告が張り出された。曰く、シャーウッドに巣くう怪物を討伐するため、全村に特別税を課す。加えて森への立ち入りを厳しく制限し、代官みずから率いる討伐隊を編成する――そう記された羊皮紙の前で、村人たちは一様に押し黙っていた。

「討伐隊だと。あの代官様が、身銭を切って怪物と戦うとでも思うのか」年老いた粉屋が唾を吐くように言った。「戦うのは俺たちの倅どもで、税を払うのも俺たちだ。得をするのは代官様おひとりだよ」

その言葉に、周りの誰も異を唱えなかった。奪うだけなら、なぜあの金貨は自分たちの戸口に置かれていたのか。増税の理由になるなら怪物などいなくても構わない、という代官の魂胆は、誰の目にも透けて見えていた。

それでも、アギーの胸には別の疑問がくすぶっていた。怪物と呼ぶにはあまりに不自然な、その施しの手つき。金貨を運び去るだけの獣が、なぜわざわざ、貧しい戸口を選んで置いていくのか。頭から離れないその問いが、やがてアギーの足を森へと向かわせることになった。

その晩、アギーは納屋の隅にしまわれた父の古い斧を見つめながら、ふと三年前のことを思い出していた。夫役に駆り出される朝、父は「森は俺たちを飢えさせない代わりに、代官様には決して優しくないだけの土地だ」と笑っていた。その言葉の意味を、アギーはまだ十分には分かっていなかった。だが、戸口に残された金貨と焦げた爪の跡は、父の言葉のどこかに触れているような気がしてならなかった。

夕暮れ、森の際に立つと、梢の向こうから微かに焦げた匂いと、低い羽ばたきのような音が流れてきた。ノラの制止を振り切り、アギーは薪拾いの籠を戸口に置いたまま、影の濃くなり始めた木立の奥へと足を踏み入れた。背後で、ノラの呼ぶ声が遠ざかっていった。

二 緑の影の掟

木々の間を縫って進むうち、あたりはすっかり夜の色に沈んでいた。梟の声、枯れ葉を踏む自分の足音だけが、やけに大きく耳に響く。踏み入るごとに、木々の隙間から差す月明かりが細くなっていくのを、アギーは感じていた。

不意に、頭上から太い縄が輪を描いて落ちてきて、アギーの足首をさらった。逆さ吊りにされた視界の中で、松明を掲げた数人の男たちが、こちらを取り囲んでいるのが見えた。

「代官の犬か、それとも物盗りか」

先頭に立つ大柄な男――のちにリトル・ジョンと知れる――が、樫の棒を構えて低く唸った。だがアギーの粗末な身なりと、震える声に、男たちの警戒はすぐに緩んだ。

「待て。この娘、エルムクロフトの薪拾いの子だろう。見覚えがある」

緑の頭巾をかぶった、身のこなしの軽い男が進み出て、縄を解かせた。切れ長の目に、どこか人を食ったような笑みを浮かべたその男が、ロビン・フッドだった。地に降ろされたアギーは、膝の震えを堪えながら立ち上がった。

「代官の増税布告のことで、確かめに来たのだろう。違うか」

図星を突かれ、アギーは戸口に置かれていた金貨のことを、訥々と語った。話を聞き終えたロビンは、傍らの太った修道士――タックと呼ばれていた――と目を見交わし、小さく頷いた。

「その金貨、間違いなく俺たちの仲間からのものだ。案ずるな、盗みの証にはならん。むしろ、お前の家がそれだけ困窮していると、俺たちの誰かが見抜いたということだ」

「俺たち、というのは」

「俺たちは、代官やその取り巻きの強欲な蔵から金銀を奪い、それを必要とする者の元へ返している。それだけのことだ」

タック修道士が、丸い腹を揺らしながら口を挟んだ。

「娘さん、聖書にはこうある。持てる者は分かち、持たざる者は受け取る。代官殿はどうやら、その教えを逆さまに読んでおられるようでな」

案内された森の奥の隠れ家は、思っていたよりもずっと生活の匂いに満ちていた。焚き火の傍らには羊皮紙の帳面が広げられ、村ごとの困窮の度合いが細かく書き記されている。誰の家に病人がいるか、誰の畑が今年不作だったか――義賊と呼ばれる男たちの仕事は、想像していたよりもずっと丹念で、地道なものだった。

「怪物の噂は、お前たちが流したのか」

「流したというより、否定していないだけだ」ロビンは焚き火を見つめながら答えた。「本当に運んでいるのは俺たちの手足では届かぬ場所ばかりでな。俺たちだけでは、一晩に運べる金貨には限りがある。だが、あれには翼がある」

「あれ、というのは」

ロビンは答えず、ただ森の奥、火の届かぬ闇のほうへ視線を向けた。その闇の奥から、かすかに、重い翼をたたむ音が聞こえた気がした。アギーは息を呑み、思わず一歩、火のそばへと身を寄せた。

「王様が十字軍から戻られれば、代官の悪政も少しは正されようが」リトル・ジョンが焚き火に薪をくべながら呟いた。「それまでは、俺たちが目の届く範囲で、埋め合わせをするしかあるまいよ」

「その埋め合わせに、お前も加わるか」

ロビンの問いに、アギーは即座には答えられなかった。関わればただでは済まない。村に残された祖母のことを思うと、足がすくむ。だが、戸口に置かれていた金貨の重みと、隣家の女房の怯えた声とが、胸の奥で天秤のように揺れていた。

「……手伝う。でも、婆ちゃんには危ない目に遭わせないで」

「約束しよう」ロビンは初めて、人を食ったような笑みではない、静かな表情を見せた。「俺たちの掟は、無力な者を巻き込まぬこと。それだけは違えぬ」

三 竜、名をドレイクという

その夜更け、隠れ家の外れの岩場に、巨きな影が舞い降りた。焚き火の明かりに照らし出されたのは、鈍色の鱗をまとった一頭の竜だった。喉から下がった革の背負い袋には、まだ金貨の触れ合う音が微かに残っている。

「今宵の分だ。北の荘園の代官代理の蔵から」

しわがれた、しかしどこか穏やかな声だった。竜はアギーの姿に気づくと、驚いた様子もなく、ゆっくりと首を傾けた。双眸には、獣特有の鋭さよりも、長い年月を経た者だけが持つ静けさが宿っていた。

「新しい顔だな」

「ドレイクだ」ロビンが引き合わせた。「俺たちが森で拾い、鎖から解いてやった竜だよ」

竜の前脚には、古い鎖の擦れた跡が、白く筋を残していた。ドレイクは問われるより先に、静かに語り始めた。かつて隣国の強欲な領主に幼いうちから捕らえられ、宝物庫の番人として鎖に繋がれていたこと。逃げようとするたびに焼け鏝を当てられ、財の番をするための道具としてしか扱われなかったこと。数年前、蔵を襲ったロビンたちに鎖を断ち切られて、初めて自分の意志で空を飛んだこと。

「あの日から、俺は誓った。強欲な人間の蔵からは、いくら奪っても心は痛まぬ。だが、無力な者にだけは、二度と牙を見せぬとな」

「怖くないの? 見つかれば、また鎖に繋がれるかもしれないのに」

「怖くないと言えば嘘になる」ドレイクは目を細めた。「だが、あの鎖に繋がれていた頃よりは、よほどましだ。少なくとも今は、自分の意志で夜空を飛んでいる。誰かに命じられてでなく、俺自身が選んで、あの戸口に降りている」

その言葉の重みを、アギーはしばらく噛みしめていた。理不尽な取り立てに黙って耐えることしか知らなかった自分の暮らしと、鎖を断ち切って己の道を選んだという竜の言葉が、どこかで重なった気がした。

それからしばらく、アギーはロビンたちの信頼を得て、配達の道案内を手伝うようになった。村の暮らしを知り尽くしたアギーだからこそ分かる、本当に困っている家の見分け方――誰の屋根が崩れかけているか、誰の子が三日も何も口にしていないか、誰の家の煙突から、もう幾日も煙が立っていないか。ドレイクの背に乗ることこそ許されなかったが、暗い夜道を先導し、寡婦の家の勝手口や、病人の伏す小屋の軒先に、そっと金貨の包みを置いて回った。

「あそこの家は、子どもがまだ幼い。あまり多く置きすぎると、かえって周りに勘繰られる」

「なるほどな。人間の目というのは、面倒なものだ」

ドレイクはそう言って喉の奥で笑うような音を立てた。夜露に濡れた葉の匂い、遠くで鳴く梟の声、月明かりの下で二人分ならぬ、少女と竜の足音だけが響く夜道――アギーにとってそれは、いつしか何よりも大切な時間になっていた。

ある晩、翼の付け根に古い火傷の痕を見つけたアギーは、持っていた薬草を擦り込んでやった。ドレイクは身をよじりもせず、ただ低く喉を鳴らした。

「人間にこうして触れられるのは、鎖の頃以来だ」

「痛かった?」

「今は、そうでもない」

その言葉に籠もる静かな信頼を、アギーは大切に胸へしまい込んだ。日々の理不尽な重税の下でも、闇の中でひそやかに続くこの営みだけは、確かな温もりを持っていた。

とりわけ忘れがたいのは、村外れに独り暮らす寡婦マーサの家を訪ねた夜だった。夫を戦役に取られ、幼子を三人抱えたマーサは、代官の取り立てに怯えながらも、決して人に弱音を吐かない気丈な女だった。ドレイクが軒先にそっと金貨の包みを置いたとき、物音に気づいたマーサが戸を開け、月明かりに浮かぶ竜の姿を目にして、悲鳴の代わりに、なぜか深々と頭を下げた。

「化け物と呼ばれる方が、なぜこんな真似を」

「化け物で構わぬ」ドレイクは静かに答えた。「人がそう呼びたいのなら、俺はいくらでも化け物であろう。ただ、お前の子らが飢えぬのなら、それでいい」

戸口に立ち尽くすマーサの目に涙が滲むのを見て、アギーは物陰でそっと目頭を押さえた。誰にも語られることのない、この小さな夜更けの光景の積み重ねこそが、ロビンたちの掟の正体なのだと、そのとき初めて腑に落ちた気がした。

四 代官の欲、密告の代償

代官ヒュー・ド・ヴェイルは、討伐税として集めた金の大半を、討伐隊のためではなく、己の館の改築と、王への献上を装った私腹の蓄えに回していた。怪物さえ討ち取れば、税はそのまま己の手柄と懐に転じる――その皮算用は、日ごとに膨らんでいった。

だが、いくら兵を森に放っても、怪物の尻尾すら掴めない。焦れた代官は、村々に密偵を放ち、褒賞と借金の帳消しをちらつかせて内通者を探させた。その罠に落ちたのが、アギーもよく知るトムという若者だった。父の代からの借金に首が回らず、日々の取り立てに怯えて暮らしていたトムは、代官の手先にわずかな金と引き換えに、森の茂みの一角――アギーたちがよく使う獣道の目印を漏らしてしまった。

「これで、お前の家の借金は帳消しだ。悪いようにはしない」

代官の手の者にそう囁かれたとき、トムの頭にあったのは、病がちな母の顔だけだった。誰かを裏切るという実感すら、その瞬間には湧かなかった。

トムは何日も迷った末に、夜更けの井戸端でアギーと顔を合わせたことがあった。何かを言いかけて、結局は口をつぐんだその横顔を、アギーはあとになって幾度も思い返すことになる。あのとき自分がもう少し踏み込んで話を聞いていたら、何かが変わったのだろうか――そんな詮無い問いが、後々まで胸の奥に小さな棘として残ることになった。

数日後の夜更け、いつものように配達へ向かったアギーとドレイクは、村外れの果樹園で、闇に潜んでいた兵たちに包囲された。投げかけられたのは、銀を編み込んだ網だった。ドレイクの咆哮とともに、鱗に食い込む鎖の音が響く。とっさに兵の一人に組み付かれかけたアギーを、ドレイクは自らの翼で庇い、そのまま網ごと引き倒された。

「アギー、逃げろ……!」

網に絡め取られながらも、ドレイクは最後まで炎の一つも吐かなかった。兵の一人でも焼き払えば、村人たちに「怪物はやはり人を殺める」との口実を与えてしまう――その一線だけは、鎖に引かれる間際まで守り抜いていた。アギーは茂みの陰で唇を噛み、声を殺して見ているしかない自分の無力さに、爪が食い込むほど拳を握りしめた。

その一声を最後に、ドレイクはノッティンガムの城の地下牢へと引き立てられていった。アギーは物陰に身を潜めたまま、なす術もなく、その光景を見送るしかなかった。爪の跡が地面に幾筋も残されているのを見て、ドレイクがどれほど抗ったかを思い、胸が締めつけられた。

代官はすぐさま布告を出した。「シャーウッドの怪物、ついに捕縛せり」。三日後、城下の広場で怪物を見世物として披露し、あわせて「今後の警備費」の名目で、さらなる重税を課すという内容だった。手柄と金、その両方を一度に手にする算段だった。

トムは自らの密告がドレイクを鎖に繋いだと知り、蒼白な顔で村を彷徨っていた。アギーはその姿を見つけ、怒りよりも先に、こみ上げる悲しみを堪えるので精一杯だった。

「どうして……」

「すまない……返しても返しきれない借金だったんだ……お前たちが、何を運んでいるかまでは、知らなかった。ただの盗人だと、思い込もうとしていた」

その震える声に、アギーは何も言えなかった。憎しみをぶつけたところで、鎖に繋がれたドレイクは戻ってこない。それに、トムを追い詰めたのもまた、あの理不尽な税の重さだった。アギーは涙を拭うと、森の隠れ家へと駆けた。ロビンたちはすでに、代官の館から盗み出した帳面――討伐税の使途を偽って記した証拠の帳簿――を手に、奪還の策を練っていた。

五 白日の下に晒された欲

見世物の日、城下の広場には、代官の触れ込みに引き寄せられた領民たちがひしめいていた。鎖に繋がれたドレイクが荷車に乗せられ、群衆の前に晒される。その鱗はすでに精彩を欠き、瞼は半ば閉じかけていた。地下牢で幾日も食を絶たれていたのだろう、かつての威容は見る影もなかった。

代官が壇上で「新たな討伐費」を高らかに宣言しようとしたその時、群衆の中からタック修道士が進み出て、大声で聖書の一節を読み上げるふりをしながら注意を引きつけた。その隙に、リトル・ジョンが荷車の鎖を断ち切り、ロビンが壇上に躍り出て、代官の目の前に例の帳簿を突きつけた。

「これが、お前の言う討伐費の行き先だ。館の壁紙と、王への賄賂まがいの献上品の目録がな」

どよめきが群衆を包んだ。アギーは震える声を張り上げ、村人たちの前で、扉に置かれていた金貨と、それを届けていたのが誰であったかを語った。困窮した家々を密かに救っていたのが、まさにこの「怪物」であったことを。

「あの子の家も、うちの隣の寡婦の家も、みんなあの竜に助けられたんだ!」

群衆の中から、誰かがそう叫んだ。それを皮切りに、あちこちで小さな声が重なり始めた。うちにも、去年の冬に。俺の家にも、確かに。誰にも語らずにいた恩義が、堰を切ったように広場を満たしていった。

代官は顔を真っ赤にして剣を抜こうとしたが、鎖を解かれたドレイクが、ゆっくりと首をもたげ、その喉の奥に低い唸りを溜めた。牙をむき出しにしたその姿は、確かに怪物と呼ぶにふさわしい威容だった。だがその牙は、群衆にではなく、ただ一人、代官にのみ向けられていた。

「お前のような者にだけは、俺は喜んで怪物になろう」

代官は剣を取り落とし、腰を抜かしてその場に崩れ落ちた。取り巻きの兵たちも、帳簿の中身と、群衆の冷ややかな視線を前に、誰一人として剣を構えようとはしなかった。広場を包んでいた恐れは、いつしか代官へと向きを変えていた。

それまで遠巻きに眺めるだけだった領民たちが、じりじりと壇上へにじり寄っていく。誰かが投げた腐った野菜が、代官の肩に当たって弾けた。怒号でも歓声でもない、長年押し殺してきた鬱憤がどよめきとなって広場を満たし、代官はその渦の中心で、なす術もなく震えているだけだった。

その後、代官は城代の職を解かれ、王の名代による監査を受けることとなった。討伐税は撤回され、村々には、これまで秘かに配られていた金貨の何倍もの額が、正式な形で返還された。トムの借金もまた、その中でひっそりと帳消しにされたと、後に噂で聞いた。

ドレイクは傷を癒すと、再びシャーウッドの闇へと帰っていった。怪物の噂は、それからも城下や近隣の村々に語り継がれたが、その意味合いは少しずつ変わっていった。強欲な者の蔵からのみ金を奪い去り、貧しい戸口にのみそれを置いていく――森が匿う、ひとひらの正義として。

冬が明け、エルムクロフトの畑に緑が戻った頃、アギーの家の戸口には、時折、小さな革袋が置かれるようになった。中身は金貨とは限らず、乾いた薬草だったり、木の実だったりした。誰が置いていくのか、村人はもう誰も詮索しなかった。

ある朝、戸口の革袋を拾い上げたノラが、珍しく穏やかな顔でアギーに言った。

「お前が森に消えた夜は、生きた心地がしなかったよ。だがね、お前が持ち帰ってきたものは、金貨よりもよほど値打ちのあるものだったのかもしれないねえ」

アギーは何も答えず、ただ祖母の隣に腰を下ろし、朝日の差す戸口をともに見つめた。遠くシャーウッドの梢が、風にざわめいている。その音の中に、あの低い羽ばたきを聞き分けられるのは、きっと自分だけなのだろうと思いながら、アギーは静かに目を閉じた。

あとがき

ハワード・パイルの『ロビン・フッドの愉快な冒険』は、シャーウッドの森を根城に、強欲な貴族や高位聖職者から金品を奪い、貧しい人々に分け与える義賊ロビン・フッドと仲間たちの活躍を描いた物語である。老獪なノッティンガムの代官は幾度もロビンを捕らえようと策を練るが、機知と弓の腕前で次々と裏をかかれ、最後にはロビンの義の心が認められる。

本作ではこの構図を土台に、ロビン・フッドの一味と結んだ一匹の竜「ドレイク」を新たに配し、「森に出没する怪物」の噂の正体を、実は貧しい村々に金貨を届ける秘密の配達役として描いた。原作の代官の強欲と狡猾さは、税を口実に私腹を肥やし、竜の捕縛を己の手柄として独占しようとする姿に翻案し、義賊たちと竜が結束してその欲を白日の下に晒すという結末を据えた。

視点人物である村娘アグネスと、彼女の祖母ノラ、密告に手を染める青年トム、代官ヒュー・ド・ヴェイルは、いずれも本作独自に創作した人物であり、ロビン・フッド、リトル・ジョン、タック修道士については原典に伝わる名を借りつつ、台詞や具体的な出来事はすべて独自に構成した。原文の翻訳や逐語的な引用は行っていない。

竜が「誰も傷つけず、ただ強欲な追っ手にのみ牙を剥く」という性質は原作にはない要素だが、義賊の掟――奪う相手と与える相手を明確に選び分ける精神――を竜という異形の存在に託すことで、ロビン・フッドの物語が本来持つ「弱者への慈しみと、強欲への容赦なさ」という核を、より鮮明に浮かび上がらせることを試みた。あわせて、密告者トムという存在を通して、貧しさが人を裏切りへと追い詰める構造そのものにも、光を当てようと試みている。


本作はハワード・パイル(Howard Pyle)著『The Merry Adventures of Robin Hood』を参考にした翻案作品です。

本作はハワード・パイル(Howard Pyle)の『The Merry Adventures of Robin Hood(邦題例:『ロビン・フッドの愉快な冒険』、1883年刊)』を参考にした作品です。原典