物語雳
← 小説一覧へ
·読了目安 14分脇役

竜は金貨に代えて幼子を数えた

無実の罪で村を追われた機織りの重蔵は、金貨の山に棲む名もなき竜だけを友に、夜ごと硬貨を数えて生きていた。その金が消えた大晦日、雪の中に迷い込んだ幼子を拾ったとき、竜の気配もまた戻ってくる――正体を明かさぬまま、執着の相手を金から命へと静かに移し替えて。

一 濡れ衣の機屋

桑ノ里(くわのさと)の外れ、川音だけが絶えず響く谷あいに、機屋の重蔵(じゅうぞう)の小屋はあった。戸口の脇には古びた機(はた)が据えられ、日がな一日、杼(ひ)の走る乾いた音が谷にこだましている。裏手には痩せた桑畑が広がり、春になれば重蔵自身が黙々と葉を摘み、蚕(かいこ)を育て、糸を紡ぎ、布に織り上げるまでの一切をひとりで担っていた。里の者たちは、重蔵という男をよく知らなかった。二十年も前にふらりと流れ着き、誰の親類でもなく、誰の祭にも顔を出さず、ただ黙々と上等な絹布を織って暮らす、痩せた背の低い男。それが、桑ノ里の人々にとっての重蔵のすべてだった。

冬になると、重蔵の小屋の煙出しからは、朝も夜も細く煙が上がった。里の子供たちは、その煙を見上げて「機屋のじさまはいつ寝るのだろう」と囁き合い、大人たちは大人たちで、あの男には人には言えぬ後ろ暗いところがあるに違いないと、根も葉もない噂を重ねた。誰もその真偽を確かめようとはせず、重蔵もまた、その噂を打ち消そうとはしなかった。人との関わりを断つことこそが、彼にとっては何よりの安寧だったからである。

重蔵には、誰にも語らぬ過去があった。生まれは山ひとつ隔てた机屋村(つくえむら)という、機織りの技と固い信心で知られた集落である。若い頃の重蔵は、机屋村の講(こう)に篤く仕える実直な織り手で、祭具の管理を任されるほど信頼も厚かった。誰よりも重蔵を頼りにしていたのが、幼馴染の弥平(やへい)だった。二人は同じ師のもとで機の技を学び、兄弟のように育ち、重蔵の許婚(いいなずけ)である志乃(しの)を含めた三人で、幾年も睦まじく暮らしていた。祭の夜には三人で連れ立って灯籠を流し、来る年の実りを祈った。重蔵はその頃、自分の人生がこのままゆるやかに続いていくものと、疑うことすらしなかった。

ところがある夜、講の御堂を守る不寝番(ねずのばん)の最中、重蔵は不意に持病の発作に襲われた。若い頃から時折起こる、意識が凍りつくように止まり、瞬きひとつせず立ち尽くしてしまう妙な発作だった。傍からは、まるで何かに魂を抜かれたように見えるその様子を、重蔵自身も長らく恥じて隠してきた。その隙に、御堂に納められていた奉納金の包みが消えた。目を覚ました重蔵には何も覚えがなく、しかし現場に居合わせたのは彼だけ。人々は、あの不気味な発作こそが魔性の証だと囁き合い、疑いは瞬く間に重蔵一人に集まった。

真の盗人は弥平だった。だが弥平は誰よりも先に重蔵を指差し、潔白を装った。「あの目つきを見たろう、あれは正気の目じゃなかった」と、弥平は涙まで浮かべながら講の長老に訴えた。志乃もまた、重蔵の発作を恐れるあまり、弥平の言葉を信じてしまった。詮議の座で、重蔵は己の身の潔白を証す術を持たなかった。籤(くじ)による神裁が行われたが、それすらも重蔵に不利な目を出し、疑いは動かしがたいものとなった。

追われるように机屋村を去る朝、重蔵は最後に志乃の顔を見た。そこにあったのは、憐れみでも悲しみでもなく、隠しきれない怯えだけだった。半年後、志乃は弥平と祝言を挙げたと風の噂に聞いた。その日を境に、重蔵は誰も信じないと心に決めた。神も、隣人も、かつての許婚も、この世のどんな絆も、いざとなれば己を守っては くれない。ならば、確かにこの手で数えられるものだけを頼りに生きよう――それが、重蔵が机屋村を出て桑ノ里にたどり着くまでの、長い道のりの果てに得た結論だった。

桑ノ里に流れ着いてからの重蔵は、腕のよい機織りとしてだけ里に受け入れられた。裕福な商人たちは彼の織る絹布を競って買い求め、その代金は上質な金貨となって重蔵の手元に積もっていった。人との縁を絶った男にとって、その金貨だけが、裏切られることのない唯一の宝だった。里の女たちが井戸端で無邪気に噂話に興じるのを横目に、重蔵はいつも足早に戸口をくぐり、心張り棒をかけた。

夜ごと、重蔵は戸を固く閉ざし、床下に埋めた甕(かめ)から金貨の詰まった革袋を取り出す。灯明のあかりの下、ひとつひとつ指でつまみ、乾いた音を立てて並べ直す。それは祈りにも似た儀式だった。誰に見せるでもなく、ただ己の孤独を数え直すような夜が、幾年も幾年も重ねられていった。数えるほどに、重蔵の指はなめらかに動き、疲れも憂いも忘れて、ただひたすらに金貨の輝きへと沈み込んでいくのだった。

その晩もまた、重蔵は甕の蓋を開けた。ふと、金貨の山の奥から、灯明よりもわずかに温かい光がこぼれた気がした。重蔵は手を止め、しばらくその奥を見つめたが、瞬きの後には、いつもと変わらぬ金貨の鈍い輝きがあるだけだった。

「気のせいか」

そうつぶやいて、重蔵はまた指を伸ばした。だが、金貨に触れた指先には、確かに、ほんのわずかな温もりが残っていた。窓の外では、木枯らしが桑の枝を鳴らし、遠くで犬が一声、低く吠えていた。

二 金の中の竜

その夜を境に、重蔵は妙なことに気づくようになった。金貨を数える手が乱れると、山の奥から低く、息をひそめるような唸りとも吐息ともつかぬ気配が伝わってくる。逆に、丁寧に、慈しむように一枚一枚を並べ直すと、指先に伝わる温もりは深く、穏やかになった。まるで、こちらの手つきに応えるかのように。最初のうちは寒気立つほどの恐れを覚えた重蔵だったが、幾晩も同じことが繰り返されるうち、その気配に敵意がまるでないことを、次第に肌で感じ取るようになっていった。

重蔵はやがて、それを恐れるどころか、待ち望むようになっていた。誰にも打ち明けられぬ独り言を、金貨の山に向かってこぼす夜が増えた。

「今日、商人が値切りおったわ。お前たちだけは、わしを謀らんでくれ」

答えが返るはずもない。だが、そう語りかけた夜に限って、金貨の奥の温もりは殊更に深く感じられた。時には、灯明の炎がふっと揺れ、まるで頷くように瞬くこともあった。重蔵は次第に、その気配が何かひとつの生き物であるかのように思うようになった。恐らくは、長い長い年月、金銀に宿ると伝え聞く古い竜――誰にも姿を見せず、誰からも顧みられぬまま、ただ大切に扱われる財の中に潜み続けてきた、名もなき小さな竜。

その竜もまた、重蔵と同じだったのかもしれない。誰にも心を開かず、誰にも心を開かれず、ただ夜ごと数えられ、磨かれ、仕舞われることだけを、かろうじての繋がりとして生きてきた。人の欲や誇りを厭い、ただ静かに扱われることだけを望んで、幾多の持ち主の手を渡り歩いてきたのかもしれない。重蔵が金貨を大切に扱えば扱うほど、竜の気配は深く応え、重蔵の孤独な夜は、いつしか二つの孤独が寄り添う夜へと変わっていった。数える指の動きひとつ、灯明の揺れひとつに、重蔵は言葉にならぬ会話を聞き取るようになっていた。

雨の晩、屋根を叩く雫の音に混じって、金貨の奥からごく低い唸りが聞こえることがあった。そういう夜は決まって、重蔵の夢に、鱗とも炎ともつかぬ淡い金色の影がよぎった。目覚めてもその姿かたちは朧げなまま消え去り、ただ、遠い昔から誰かに見つめられ続けてきたような、覚えのない安堵だけが胸に残った。重蔵は誰にも語れぬそれを、次第に「連れ合い」とでも呼ぶべきものとして、心の奥に住まわせるようになっていった。金貨袋を数え終えた夜更け、重蔵はときおり、革袋の口をわずかに開けたまま眠りに落ちることがあった。朝になっても袋の中身が減っていたためしはなかったが、その開いた口から夜通し何かに見守られていたような気がして、重蔵は不思議と怖くなかった。

同じ頃、桑ノ里の名主(なぬし)の屋敷では、跡取りの一之進(いちのしん)が、誰にも明かせぬ秘密を抱えていた。行商の一座に生まれ、薬草の知識に長けた娘・咲(さき)と、隣里の祭で出会って人目を忍んで契りを交わし、密かに祝言まで挙げていたのである。咲は控えめながらも芯の強い女で、一之進が病がちだった折には幾晩も傍らに付き添い、快復を見届けてから静かに姿を消すような娘だった。だが名主の父は、格式ある家との縁組を望んでおり、一之進にはそれに逆らう気概がなかった。表向きは奈津(なつ)という庄屋の娘との縁談を進めながら、咲との仲は闇に隠し続けた。

「もう少しの辛抱だ。父上が代替わりされたら、必ずお前を迎えに行く」

一之進はそう繰り返したが、咲の目には、その言葉がいつまでも果たされぬ約束にしか映らなかった。それでも咲は、一之進を信じ続けようとした。

一之進の弟である頼母(たのも)は、そんな兄の弱みを知る数少ない者だった。博打好きで金にだらしない頼母は、兄を脅すことこそしなかったが、いつか使えるかもしれぬ札として、その秘密を胸の内に仕舞っていた。そして頼母自身もまた、賭場での借財に首が回らなくなりつつあった。桑ノ里の外れに住む機屋の男が、床下に金貨を溜め込んでいるという噂を、頼母は苦々しい興味とともに聞いていた。賭場の仲間から催促の文が届くたび、頼母はその噂を思い出しては、苛立たしげに舌打ちをするのだった。

三 消えた宝、灯る子

その夜、重蔵はいつものように寺の鐘を数えながら夜業を終え、井戸端で手拭いをすすいでいた。ほんの四半刻(しはんとき)ばかりの油断だった。戸口の心張り棒がわずかに緩んでいたことに、重蔵は気づいていなかった。頼母は、賭場からの帰り道、闇に沈む機屋の小屋を見つけ、酔いに任せた勢いのまま戸に手をかけていた。

戻った小屋の床下から、革袋の重みが消えていた。空になった甕を前に、重蔵はしばらく声も出せずに座り込んだ。指先には、もう何年も慣れ親しんだあの温もりがない。金貨だけでなく、あの気配――竜の存在ごと、根こそぎ奪われてしまったかのようだった。灯明の火を消し忘れたまま、重蔵は夜通し甕の底に手を差し入れ続けた。

「戻ってこい……頼む、戻ってきてくれ」

暗い床下に向かって、重蔵は初めて声を上げて泣いた。里の者たちに訴えても、行商上がりのよそ者が疑われただけで、下手人は知れぬままだった。当の頼母は、その晩を境に桑ノ里から姿を消していた。人々は、素行の悪い次男坊がとうとう出奔したのだろうと噂したが、真実を知る者はいなかった。頼母は奪った革袋を抱え、夜道を急ぐあまり、里外れの葦沼(あしぬま)に足を取られて沈んでいったのである。誰にも見送られず、誰にも知られぬまま、沼の底に金貨もろとも沈んだ頼母の上に、やがて枯れ葦が幾重にも重なっていった。

それから幾月か経った大晦日の晩、桑ノ里は季節外れの大雪に見舞われた。ちょうどその頃、一之進との仲を裂かれ、身の置き所を失っていた咲は、幼い娘の手を引き、当てもなく雪道をさまよっていた。奈津との祝言が正式に決まったと人づてに聞いた咲は、もはや一之進のもとへ戻る術もなく、心労のあまり口にするようになっていた鎮静の煎じ薬が、いつしか手放せぬものになっていたことも、彼女の足取りを鈍らせていた。里外れの木立まで来たところで、咲はとうとう雪の中に倒れ伏し、そのまま二度と目を覚まさなかった。

母の手からこぼれ落ちた幼子は、寒さに泣きながらも、遠くに揺れる小さな灯りに引き寄せられるように、とぼとぼと雪を踏んで歩き出した。それは重蔵の小屋の、閉め忘れた戸の隙間から漏れる灯明の光だった。何度か溝に落ちかけたその足を、その都度、ふわりと温かい何かが支えたような気がした――そう、後年になって幼子自身が語ることになる。凍りついた小さな指が木の根に触れかけるたび、まるで見えない手にそっと導かれるように、幼子の足は正しい方角へと向き直った。

戸口にうずくまり眠り込んでいた幼子を見つけたとき、重蔵は最初、目を疑った。空になった甕の傍らに、まるで金貨の代わりのように、小さな命が丸くなっている。呆然と立ち尽くした重蔵の胸に、恐れよりも先に、抗いがたい温もりが込み上げてきた。それは、かつて金貨から伝わっていたものと、どこか似た感触だった。重蔵は震える手で幼子を抱き上げ、囲炉裏の傍らへと運んだ。

重蔵はこの子を「灯(あかり)」と名付けた。金貨のあった場所に、灯りのようにこの子が現れたからである。

里の女たちは、頑固な独り者の重蔵が幼子を育てられるはずもないと、最初は遠巻きに眺めていた。「機屋のじさまに、乳の与え方など分かるものか」と、井戸端では憐れむような噂が絶えなかった。だが乳の与え方も知らぬ重蔵が、真冬の川で水汲みをしながら灯の世話に四苦八苦する姿を見かねて、隣家のおとよという年配の女が、見るに見かねて教えを授けるようになった。灯を通じて、重蔵は二十年ぶりに、誰かと言葉を交わす暮らしを取り戻していった。

灯が熱を出した晩、重蔵が一睡もせず看病を続けると、なぜか火鉢の炭は普段よりも長く、穏やかに燃え続けた。灯が里の裏山で迷いかけた日には、夕暮れの薄闇の中、木々の間に小さな金色の光がちらと瞬き、その方角へ灯の足が自然と向いたという。重蔵はそのたび、かつての金貨の温もりを思い出しながらも、確かめようとはしなかった。ただ、灯が無事であることだけを、静かに喜んだ。

灯が七つになった年、川遊びの帰りに足を滑らせ、増水した瀬に流されかけたことがあった。里の男衆が総出で探し回った末、灯は下流の岩陰で、ずぶ濡れながらも無傷のまま見つかった。「岩にしがみついていたら、誰かに背中を支えられているみたいで、怖くなかった」と、灯は後になって幼い口ぶりでそう語った。誰も本気にはしなかったが、重蔵だけは、その言葉を聞いて長いこと黙り込んでいた。かつて金貨の山の奥から伝わってきた、あの息をひそめるような温もりを、思い出さずにはいられなかったからである。

季節が巡るごとに、灯は重蔵の機織りを見よう見まねで覚え、糸車を回す手つきも次第に様になっていった。夜なべの合間、灯が「お父つぁんは、どうして独りで暮らしていたの」と無邪気に尋ねることもあったが、重蔵はそのたび、「昔のことは、昔のことよ」とだけ答え、それ以上は語らなかった。ただ、灯のいる暮らしが、机屋村で失ったものの何倍もの温かさを己に与えてくれていることを、重蔵は誰よりも深く噛みしめていた。

四 名乗り出た男

十六の年を数えた灯は、里でも評判の働き者に育っていた。機を織る重蔵の傍らで糸を紡ぎ、隣家の若者・与助(よすけ)と将来を語らうまでになっていた。夕暮れ、機屋の縁側に並んで座り、その日にあった里の出来事を語り合う二人の姿は、いつしか桑ノ里の見慣れた風景のひとつになっていた。重蔵にとって、それは何よりも得難い、穏やかな年月だった。

一方、一之進は名主の座を継いで幾年も経ちながら、妻の奈津との間に子を授からず、屋敷の奥で日に日に口数を減らしていた。里の外れの沼を新田に変えようという普請の最中、水を落とした沼底から、白骨と朽ちた革袋が見つかったのは、そんな折のことだった。革袋の中には、色褪せながらも確かに金貨の形を保った塊が残っていた。骨は身につけていた守り袋の紋から頼母のものだと知れ、桑ノ里はにわかに騒然となった。長らく機屋の重蔵から金を盗んだと噂されてきたよそ者の疑いは、ここに晴れた。

その骨を検分した一之進の胸には、抑えつけてきた古い罪の記憶が、堰を切ったように溢れ出した。弟の末路を目の当たりにし、自らもまた咲を見捨てたまま生きてきたことを、改めて突きつけられたのである。咲があの大晦日の晩に命を落としたことは、後になって人づてに知っていた。だが、その娘の行方までは、これまで確かめる勇気を持てずにいた。もはや父も亡く、跡目を脅かす縁談の重荷もない今、一之進は長年の沈黙を破る決意を固めた。

雪の残る夜、一之進は重蔵の小屋を訪れた。囲炉裏端に座す重蔵と灯を前に、一之進は膝を折り、洗いざらいを語った。咲との秘めた祝言、生まれた娘を認める勇気のなかったこと、そして灯こそが、その娘であること。灯は言葉もなく、揺れる囲炉裏の火を見つめたまま、その話に耳を傾けていた。

「今からでも、詫びをさせてほしい。灯を、名主の娘として迎えたい。何ひとつ不自由のない暮らしを、約束する」

重蔵の胸に、鋭い痛みが走った。二十年前、志乃に去られた夜と同じ、何もかもを奪われる予感だった。だが重蔵は、その痛みを噛みしめながらも、灯の前で声を荒らげることはしなかった。

「灯、お前の身の振り方だ。わしが口を挟むことじゃあない」

そう言うのが、重蔵にできる精一杯だった。その夜、一之進が帰った後の小屋で、重蔵は誰もいない床下の甕にそっと手を伸ばした。もう何年も金貨の入っていない、空の甕。指先に触れたのは、ひやりとした土の感触だけだったが、なぜかその奥に、ごくかすかな、忘れかけていた温もりが灯った気がした。重蔵はしばらく、その甕の前から動けずにいた。

五 誰にも知られぬまま

数日後、灯は一人で重蔵の小屋を訪れた。一之進の屋敷から迎えの駕籠(かご)まで用意されたと聞いて、重蔵は覚悟していた。だが灯の顔に、迷いはなかった。

「お父つぁん、あたし、ここに残ります」

灯は囲炉裏の火をじっと見つめながら、静かに続けた。

「名主様の娘になれば、絹の着物も、立派な暮らしも手に入るのでしょう。でも、あたしを雪の中から拾い上げてくれたのはお父つぁんです。乳の飲ませ方も知らないくせに、朝まで抱いていてくれた人です。与助さんと二人で、この機屋を継いで生きていく暮らしを、あたしは選びたい」

重蔵は言葉に詰まり、ただ何度も頷いた。堪えきれず落ちた涙が、囲炉裏の灰にひとつ、小さな跡を残した。その拍子に、囲炉裏の炭がぱちりと爆(は)ぜ、いつもより一段、明るく燃え上がった。灯はその火影に目を細め、ふと懐かしいような、それでいて言葉にできない安堵を覚えた。かつて雪の夜、道に迷いかけた自分の足をそっと支えてくれた、あの温もりとよく似ている――そう思ったが、なぜそう感じるのかまでは、灯自身にも分からなかった。

それから幾年か過ぎた。灯は与助に嫁ぎ、重蔵の小屋のすぐ隣に居を構えた。一之進は月に一度、孫のように灯の子らを訪ねてくるようになり、機屋の重蔵もまた、里の祭に招かれるほどに、いつしか桑ノ里の一員として迎え入れられていた。井戸端で無邪気に噂話に興じていた女たちも、今では重蔵を「灯の親父様」と呼び、親しげに声をかけるようになっていた。

老いた重蔵は、今も時折、床下の古い甕を取り出しては、その底を覗き込む癖が抜けなかった。金貨はもう長らく、そこにはない。ただ、灯やその子らが訪ねてくる夜、囲炉裏端でその小さな笑い声を聞きながら甕に触れると、指先にほんのわずかな温もりが伝わることがあった。重蔵はそれを、若い頃に見た幻の続きだろうと思い、深くは詮索しなかった。詮索する必要すら、もう感じなかった。

甕の奥、誰の目にも留まらぬ暗がりで、小さな竜は静かに身を丸めていた。かつて金貨を数える孤独な指先を慰めていたその竜は、今はもう金貨には見向きもしない。ただ、この家に集う温かな声だけを、誰にも知られぬまま、いつまでも聞き続けている。

あとがき

ジョージ・エリオット『サイラス・マーナー』は、無実の罪で信仰共同体を追われた織工サイラスが、隠者として金貨を貯め込む孤独な暮らしの果てにその金を盗まれ、代わりに大晦日の晩、雪の中で母を亡くした幼子エピーを拾い、彼女を育てる中で村人との絆と人を愛する心を取り戻していく物語である。数年後、実の父である地主の息子が名乗り出てエピーを引き取ろうとするが、エピーはサイラスのもとに留まることを選ぶ。

本作では、サイラスが夜ごと数えていた金貨の山そのものに、誰にも知られず棲みついていた孤独な竜という存在を新たに加え、この竜が金貨への執着を、拾い子への静かな見守りへと転じていく様子を、原作の展開に沿いながら描いた。濡れ衣の経緯、金の盗難、大晦日の拾い子、実父の名乗り出、そして拾い子が実父の富ではなく育ての親のもとを選ぶという結末までの骨格は原作を参考にしつつ、人物名・地名・竜の設定・因縁の物語はすべて独自に創作した。原作の展開やプロットは参考にしたが、文章表現や逐語的な引用は行っていない。


本作はジョージ・エリオット(George Eliot)著『Silas Marner: The Weaver of Raveloe(サイラス・マーナー)』を参考にした翻案作品です。

本作はジョージ・エリオット(George Eliot)の『Silas Marner: The Weaver of Raveloe(サイラス・マーナー)』を参考にした作品です。原典